東京地方裁判所 昭和49年(刑わ)1552号 判決 1974年12月10日
主文
被告人を懲役一年二月に処する。
未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 昭和四九年三月一〇日午前四時ころ、東京都練馬区田柄二丁目五三番二号スナツク「さくらんぼ」において、同スナツクの客である大関泰一と塚原吉勝・遠藤哲郎(当二六年)との喧嘩を制止した際、右遠藤らがそれに従わなかつたことなどに憤慨し、そのころ、同スナツク前路上において、右遠藤の顔面を手拳で殴打し、さらに右路上に転倒した同人の顔面などを靴ばきのまま蹴りつける暴行を加え、よつて、同人に対し、全治約七日間を要する顔面挫傷の傷害を負わせ
第二 前記遠藤が前判示傷害を負わされたことにつき、友人の前記塚原(当二六年)、手塚秀和および竹井らとともに、前記スナツクにおいて、被告人に聞えよがしに「やつつけようか。」とか「あの野郎、日本刀を持つてきて、ぶつた切つてやろうか。」などと話していたことから、右塚原ら四名に対し、憤懣の情もだしがたく思つていたところ、同人等が同店を去つて三、四分後に同店を辞し、同日午前四時四〇分ころ、同店からほど近い同区北町八丁目三七番一一号付近道路(川越街道)にさしかかつた際、同所路傍の屋台のおでん屋に右塚原ら四名の後姿を認めるや、前記憤懣を晴らすため、同人らに対し、暴行を加えようと決意し、その場にいた知人およびその連れの氏名不詳の者数名に対し、その情をあかして協力を求め、ここに同人等と共謀のうえ、即時、被告人が右おでん屋内にいる右塚原をその背後から引きずり出して転倒させ、ひきつづき右おでん屋から約三〇メートル離れた同町八丁目三七番一九号青木建具店前道路(川越街道)において、右氏名不詳の者二名位がこもごも、逃げ遅れて同所に転倒した右塚原の顔面などを足蹴にし、次いで右氏名不詳の者一名が所携の日本刀様の刃物で右塚原の背中に切りつけ、よつて、同人に対し、加療約二七日間(八針の縫合手術)を要する背部切創の傷害を負わせ
たものである。
(証拠の標目)(省略)
(判示第二の共謀についての判断)
被告人は、判示第二の、共謀の点については、司法警察員および検察官(昭和四九年四月二四日付、同月二五日付)に対する各供述調書において、これを認める趣旨の供述をしておりながら、当公判廷においてこれを否認し、証人儀間晃も当公判廷においてこれに沿う趣旨の供述をしているので、以下、右共謀の点について検討する。
一、まず、被告人、証人儀間晃、同手塚秀和、同遠藤哲郎および同楠本フキエの当公判廷における各供述によれば、前記スナツク「さくらんぼ」(以下「さくらんぼ」という。)において、塚原吉勝、遠藤哲郎、手塚秀和および竹井(以下塚原吉勝ら四名という。)は、遠藤哲郎が被告人から判示第一の傷害を負わされたことから、被告人を冷やかしたり、或いは、「やつつけようか。」とか「日本刀を持つてきて、ぶつた切つてやろうか。」などと声高に話しておつたが、「さくらんぼ」のママの取りなしなどにより、被告人に対し、暴力を振うには至らなかつたものの、被告人の申し出により右ママが仲直りの印と言つて出したビールを誰も飲まず、「さくらんぼ」内の雰囲気は依然険悪であつた。しかして、被告人は、塚原吉勝ら四名より先に「さくらんぼ」を出れば、同人らに襲われる危険があつたので、同人らが「さくらんぼ」から出て行くのを待つていたのであるが、同人らが出て行くや数分後に、右ママの忠告制止にもかかわらず同店を出て、前記おでん屋(以下おでん屋という。)の方向へ歩いて行き、間もなくおでん屋に居る同人等を発見し、直ちに判示のように塚原吉勝を引きずり出すという積極的攻撃に及んでいること等が認められる。
二、ついで、被告人、証人塚原吉勝、同手塚秀和、同市川慶子、同楠本フキエ、同遠藤哲郎および同儀間晃の当公判廷における各供述、並びに館田治の司法警察員に対する供述調書を総合すると、手塚秀和はおでん屋内にいる時、「一寸来い。」と言われて背後から外へ引張られたので、見ると被告人がおり、その背後に氏名不詳の者数名がいて、その中の一人が」「やるなら、やつてやるぞ。」と言いつつ、五、六〇センチメートル位の日本刀らしい物を抜くような格好をしたのを見て、手塚秀和は慌てておでん屋の中に入り、「ヤツパを持つているから、逃げろ。」と言うか言わないうち、塚原吉勝が背後から被告人によつて、おでん屋内から引きずり出され、おでん屋の前のガードレールにぶつかつて路上に倒れたこと、塚原吉勝が被告人に引きずり出されると殆んど同時に、おでん屋内にいた遠藤哲郎が、何者かによつて、背後から刃物でその左太腿部を刺されたこと、塚原吉勝が倒れた付近で、被告人および氏名不詳の者数名が塚原吉勝を取り囲み、転倒して無抵抗の同人に対し、「生意気いうな。」などと言つたり、同人を殴打していたこと、その後、塚原吉勝は前記川越街道を池袋方向へ逃げたところ、同人を殴打などしていた者達は塚原吉勝を追いかけ、その先後は不明であるが、被告人もすぐ同一方向へ走つて行つたこと、塚原吉勝はおでん屋から約三〇メートル離れた前記青木建具店(以下青木建具店という。)前路上において捕まり、氏名不詳の者二名位からその顔面などを足蹴にされたり、右以外の氏名不詳の者一名からその背中を日本刀様の刃物で切りつけられたこと等が認められる。
三、加うるに、証人楠本フキエの当公判廷における供述によれば、青木建具店前路上で、塚原吉勝に対し、日本刀様の刃物で切りつけたと思われる男はおでん屋の前に戻ると、他の者に右刃物を持つて行くように言いつけ、これを受け取つた者は「さくらんぼ」の方へ行き、また、青木建具店前路上で、塚原吉勝を殴打していた者達もおでん屋の方へ引き返してきて、「さくらんぼ」の方へ引き上げて行くという落ち着いた行動をとつていたこと等が認められ、これによれば彼ら(判示氏名不詳の者数名)が襲うべき相手を見誤つたとは到底考えられないのである。
四、以上の事実によれば、おでん屋の中にいた塚原吉勝、手塚秀和、遠藤哲郎に対する被告人および氏名不詳者らの前記行為は、単に各人の行為が偶然重なり合つたというようなものではなく、お互に各人の行為を容認して同一目的の遂行に協力し合つたという関係が存在したものと認めるのが相当であり、従つてその後おでん屋から逃げだした塚原吉勝に対する前記行為も右関係に基く進展と認めるべきものである。
五、してみると、おでん屋の中に塚原吉勝ら四名がいることに気付くや、自分にも氏名不詳の者達の味方ができたので、塚原吉勝ら四名に対する憤懣を晴らすため、同人らに暴行を加えることを決意し、その加勢を右氏名不詳の者達に依頼したとする趣旨の被告人の司法警察員および検察官(昭和四九年四月二四日付、同月二五日付)に対する各供述調書はその限りにおいて信用することができるのであつて、これに反する被告人の当公判廷における供述部分およびこれに沿う証人儀間晃の当公判廷における供述部分は信用することができない。
(累犯前科)
被告人は、昭和四二年一〇月六日東京地方裁判所で窃盗、同未遂罪により懲役一年二月(三年間執行猶予、昭和四四年八月一九日右猶予取消)に処せられ、昭和四八年一月二〇日右刑の執行を受け終り、昭和四四年七月一一日東京地方裁判所で窃盗、私文書偽造、同行使、詐欺、傷害罪により、懲役四年に処せられ、昭和四九年一月一三日右刑の執行を受け終つたものであつて、右事実は、被告人の司法警察員に対する供述調書、前科調書および林龍夫作成の電話聴取書によつてこれを認める。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の所為は刑法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、前記前科があるのでいずれも刑法五六条一項、五七条により再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役一年二月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。
よつて、主文のとおり判決する。